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大鳥居(中央が県境)左が栃木県、右が茨城県
鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)は県境が大鳥居の中央、並びに奥の御本殿の中央を通るという全国でも珍しい神社です。(写真中央の左が栃木社務所、右が茨城社務所)
一つの神社が栃木県茨城県両県の文化財に指定されているような神社は全国でも当社のみと思われます。
江戸時代までは水戸領でしたが、明治の廃藩置県により県境が神社の中央を通ることになりました。
奈良時代の「常陸国(ひたちのくに)風土記」には「下野国(しもつけのくに)との境の大山」と書かれており、1000年以上前より国境いであったようです。
一つの御社殿ですが、宗教法人としては栃木県茨城県二つの神社と数えられています。 -
楼門・安養閣(中央が県境)
大鳥居を過ぎると楼門(安養閣)があります。
県境は楼門の中央を通ります。
この楼門も栃木県茨城県両県の文化財です。
中央より左側が栃木県、右側が茨城県です。 -
ふくろうの石段(中央が県境)
楼門を過ぎると通称ふくろうの石段(不苦労の石段)です。
石段の中央を県境が通っています。
県境は石段上方途中より左に曲がり御本殿に向かいます。
石段中央より左側が栃木県、右側が茨城県です。 -
横から見た御本殿(中央が県境)
県境はふくろうの石段上部より左に曲がり、千年杉の根元を通り御本殿真横に至ります。
そして県境は御本殿を真横に切るように通っています。
この御本殿も栃木県茨城県両県の文化財です。
写真中央より左側が栃木県、右側が茨城県です。 -
御本殿の県境標示(ピン)
このピンは昭和62年の栃木側地籍調査時に両県確認のうえ打たれた公的なピンです。
ピンより左が栃木県、右が茨城県です。
なお法的なこととは別に、御本殿周辺の境内地に関する管理運営は両県の神社が相談で行うことになっています。
鷲子山上神社は、栃木県では「とりのこさんしょうじんじゃ」、茨城県では「とりのこさんじょうじんじゃ」と称します。
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由緒鷲子山上神社は、栃木県(那珂川町)と茨城県(常陸大宮市)の県境に位置し、標高470メートルの山頂にあります。 緑深い木々に覆われ、四季それぞれの自然美をたたえています。 古来より霊峰と言われ、境内全域が現代の言葉で言われるパワースポット・スピリチュアルスポットです。
神社の創建は、大同2年(807)大蔵坊宝珠上人が諸国遍歴中に四国の阿波国(徳島県)に立ち寄り、製紙業が盛んであることを知り、紙漉きの技術と共に守護神である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を勧請し、鷲子山に社殿を建立したといわれます。
その後、大巳貴命や小彦名命がまつられました。鎌倉時代末期になると、当地方は下野国中央部を勢力圏とした宇都宮氏支族の武茂氏が統治していました。神社はかつて朝日嶽と呼ばれる地にありましたが、天文21年(1552)現在地に再建したと伝えられています。
現在は、栃木県、茨城県の指定文化財となっています。
鷲子山上神社は、大鳥居 の中央が県境という、全国でもめずらしい神社です。また近年は、フクロウの神社(不苦労神社)として知られ、運気上昇・金運福徳・厄難消除を願い、多くの方が来山されてます。
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本殿
大同二年(807年)鎮座。天日鷲命(あめのひわしのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)がまつられています。
現存する本殿は、天明8年(1788)に再建されたもので、三間社流造の銅板葦で千木・堅魚木を配し、向拝を付している。
本殿柱や、頭貫の彫刻構成と装飾の豊かさは、類例をみない奇抜な手法であり、社殿の彫刻の流れを知る上で貴重な遺構です。
(栃木茨城両県文化財) -
六地蔵
平成2年、御殿正面のスロープ工事の際に、地中から出土しました。
明治時代の神仏分離令により埋められたものと判明しました。特別なパワースポットとして月参りされる方が多い処です。
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奥山稲荷
伏見稲荷大社を勧請しました。防災・芸能・五穀豊穣・商業の神として尊信されています。
平成二六年、大那地氏子により整備され「きつね像」も奉納されました。
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大黒社(境内社)
大黒様は開発・健康・縁結びの神です。
七福神の一つであり、えびす様とともに商売繁盛・幸福の神してまつられます。
古くより強いパワーのあるところとして信仰されています。 -
三社
風神、雷神、古峯神社の神々がまつられます。
五穀豊穣・国家安泰・商売繁盛を願う神様です。
羽黒社出羽三山より遷って来られた神様です。古来、現在の御本殿の地にありました。
現在の御本殿が作られた折、その地を現在の地にお遷りいただいた為、北向きに立っております。
三本杉社11月に当社で一番重要な「夜祭り」がこの杜の前で行われます。
夜、古儀に則り行われる、すばらしい伝統のお祭りです。
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千年杉
山には樹齢1000年の杉を始めとして老樹大木がうっそうと生い茂り、多くの人々がその「霊気」をいただくため「森林浴」に来山されます。
直径:2m20cm・周囲:8m
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楼門(左大臣・右大臣)
楼門(随神門・安養閣ともいう)は、文化12年(1815)年建立。
「安養閣」の文字は、権大納言重嗣の筆による。門には、右大臣、左大臣の像が坐する。
令和元年に大修理。
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鷲子山十景 七奇の碑
鷲子山のすぐれた十景と七つの不思議が書かれています。
水戸光圀公が参拝のおり選定し、徳川斉昭公が命じて碑文にしたといわれています。手水舎この手水舎の石は、当山のお舟石(おふないし)の一部で作ったといわれています。
お舟石とは、天日鷲命の御分霊が四国より来る時、乗ってきた石船といわれます。福亀の石だたみ楼門前の石だたみの中に、いくつかの亀がおります。これは当社を参拝される方の健康長寿を願ったものです。いくつあるか探してみましょう。
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水かけふくろう
フクロウは当社の大神様のお使いです。
このフクロウに水をかけ、苦労を流しさってもらい、多くの幸福をいただきます。
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大鳥居・県境標示
栃木茨城両県をまたぐ大鳥居。平成19年、文政9年(1826年)の鳥居を古材一部を使い建て直しました。
県境の標示板はデザインが分かりやすくテレビや雑誌などでもよく使用されます。 -
栃木県の社務所
県境の神社ですので、社務所も両県にあります。
栃木県の社務所には、お守り、お札授与所、祈祷受付けなどがあります。
茨城県の社務所県境の神社ですので、社務所も両県にあります。
茨城県の社務所は、祭典や集まりに使用する他、様々なイベントに使用しています。
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亀井戸
山頂にあるのに涸れることのない、やわらかいご神水の井戸です。
伝承のよると「山頂の為、ほとんど水が出ず困っていた。神託により亀の形の石を掘った井戸に沈めたところ、こんこんと水が出た」といわれます。
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伍智院
黄門様ご休憩の間
伍智院は、江戸時代からの姿をそのまま残す建物です。
かつて、諸国漫遊をなさっていました水戸光圀公が、お立ち寄りになり、休憩をされた部屋が残されています。
『黄門様ご休憩の間』の拝観には、予約が必要です。鷲子山上神社お参りの際に前もってご連絡ください。 -
椿茶屋
当社の休憩所です。山菜おこわがよく雑誌にのります。けんちんそば、みそおでん、甘酒なども美味しく、参拝の折、休んでいくことを楽しみにしている方も多くいます。
近年、金運だんごが人気です。
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本宮神社
古い時代には、この地に鷲子山上神社があった為「本宮」といわれます。
境内には日本一の大フクロウ像があります。
多くのフクロウがあり、宝くじが当たる、運気が上がるなど金運を願う方で最大の人気スポットです。 -
日本一の大フクロウ
大フクロウ(不苦労)は地上7メートルあります。苦労を運び去り、多くの幸運を運んでもらいましょう。
金運にも恵まれるとして、宝くじの当選願いにも多くの方が来られます。
ふくろうのポストふくろうの鐘 -
朝やけもみじ
樹齢約200年の山もみじがあります。午前中、朝日が当たるとすばらしい美しさである為「朝やけもみじ」といわれます。
この大きさの赤色の強いもみじは、県内にも数少ないといわれます。
(11月初旬〜中頃)
夕やけもみじ樹齢約250年の山もみじです。巨木であり、夕方美しく輝きます。黄色の強いもみじです。
(11月中頃〜末頃)
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かや(榧)
樹齢600年の銘木です。このクラスのかやは数が少なくなり、貴重な樹となっております。
将棋盤や碁盤などに使用されます。
(茨城県指定天然記念物) -
天狗の足あと
古来、鷲子山に住む天狗が駆け上った足あとといわれます。
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福ふくろうロード(約350m)
このロードを歩き、ふくろう像(約100体)を拝観し、多くの幸福をいただきましょう。
初夏(6月末〜7月)はあじさいロード、冬(12月〜翌3月)は寒椿ロードに。